題字:加藤アスケ


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第2回

◎すくみずの魅力について〜その2

スク水の大きな魅力のひとつとして「スク水は制服の一種」だという捉え方があります。
水泳の授業で着る制服が、スクール水着だという訳です。つまり、スク水には「制服の持つ魅力」が内包されていると、私は思っています。

では、制服とはなんでしょうか。制服の魅力とはなんでしょうか。
まずひとつ「制服は精神的拘束具」であると言う点があげられます。

例えばデパートの販売員の制服。

デパートの販売員(デパガ)は、制服を着る事で、周囲からデパガとして扱われ、デパガとして振舞わなければいけなくなります。ある女性が、百貨店の中で商品の場所が分らず困っている人に出くわしたとしましょう。もし女性が私服でその場面に出くわしたなら、そこを横目で見て素通りしても、周囲から非難を受ける事は無いと思います。また、周囲も横を通り過ぎるその女性に注意を払う事はありません。しかし、もしデパガの恰好をしてその場面に出くわしたなら、そうも行きません。例えその女性が本物のデパガであろうとなかろうと、周囲は「販売員の恰好をした人」に対して対応を求めてきます。そして、その女性がおざなりな対応をしたならば、非難を受けることでしょう。或は、もしライバル店の制服を着て店内をうろついていたなら、追い出されるかもしれません。

こういったように、制服を着た人間は、その行動に大きく制限が設けられるのです。
例え身体が自由であろうとも、制服によって精神は拘束されているのです。
制服を着た人間は、一個人である前に「その制服が示すモノ」として振舞わなければならないのです。
看護師の恰好すれば看護師として、警官の恰好をすれば警官として、ウェイトレスの恰好をすればウェイトレスとして行動する事を、コミュニティに求められる訳です。


そして学生は、学生服を着ている間は「一個人」では無く「学生」として扱われてしまいます。乱暴な言い方をすると、個を抑圧し総てを「学生」と一括りにしてしまうのです。


前回、「スク水はダサい」と定義しましたが、学生達は、そのダサいスク水を個人の意思とは関係無しに着なければならないのです。社会は学生達を学生として扱う為に、スク水を着させます。スク水を着た学生達は、学生として振舞う事を強いられます。

私は、そこにエロスを感じずにはいられません。

例えば、女子学生のキャラに「私、もう大人よ」という台詞を、普段着で言われるのと、学生服で言われるのと、どちらがより一層ドラマが深くなるか、エロスが濃くなるか。やはり、学生服で言われた方が、言葉の裏にある鬱屈としたものが感じられて、ドラマティック且つエロいのではないかと思います。

スク水が学生服のひとつであるなら、そういった「学生服」全般が持つ普遍的な魅力が、スク水にも備わっていると言えるでしょう。さらに、スク水は「水着」でもあります。女性の肉体美を、よりダイレクトに伝える力があります。学生服としての魅力と水着としての魅力を高次元で兼ね備えたアイテム、それがスク水です。

そして、スク水は、それが学生服の一環であるならば、学生時代という時間を過ごした人全てにとっての共有体験としての機能を果たす事になります。男女問わず、ある一定の年代以上の人間ならば、誰もが皆「スクール水着」についての話ができるのです。


次回「共有体験」に続く

テキスト:
大洲五郎
イラスト、題字:
加藤アスケ