|
まず「1:ダサさが魅力」について。
私が高校生の時の話です。私の通っていた学校は、自由な校風をモットーとしており、所謂制服とうものが有りませんでした。学生達は普段、私服で通学し、式典等にはスーツや袴で出席するといった具合です。そんな学校ですから、学校生活の中で「お洒落な人」が生まれてきます。普段から身なりに非常に気を遣って学校にもそれなり以上の恰好で通い、ファッション雑誌等のチェックは欠かさず、女性なら時として化粧をして登校し、バーゲンシーズンには欠席日数が増える方々です。
|
ある時、そんな「お洒落な人」の一人である、女性の上級生のスク水姿を見ることがありました。普段はお洒落な先輩のスク水姿は、いいようのないダサさに満ち溢れていました。普段とのギャップといいましょうか、或は、首から上と首から下との一致のしなさ加減といいましょうか、とにかくそれまで持っていた「お洒落」「ちょっと色っぽい人」といったイメージが瓦解した瞬間だったわけです。そして、それこそはエロスと萌え(当時はそんな言葉はありませんでしたが……)を感じた瞬間でもありました。相手にとっては、失礼極まりないことでしょう。なにせ、こちらは「ダサい」と思っているのですから。しかし、その「ダサい」は、侮蔑的な感情では無く、その人の別の側面を見られた「喜び」に近い感情だったと思います。普段の着飾りを取り払い、ダサい状態になって尚、その人は魅力的でした。ダサい恰好をしていても、その人はその人だったのです。
|
|
|
思うに、近年語られるところの「ダサ萌え」とは、コミュニティーで良とされる価値観(を具現化した装飾)を取り払う事により、評価の対象となる人間自身の魅力がソリッドに浮かび上がっている状態を指すのではないでしょうか。そんな「ダサ萌え」の最右翼に「スク水」が位置していると言えるのではないでしょうか。
|
|
そして、学生達は水泳授業で「ダサい」恰好である「スク水」を着なければいけない、という部分に注目すると、スク水には「制服・学生服としての魅力」が内包されている事が見えてきます。
|